可児市議会 2022-08-05 令和4年第4回臨時会(第1日) 本文 開催日:2022-08-05
そして、2021年、昨年の7月時点でもこのサイクリングピースロードというイベントが取り組まれ、土田御前の前で写真を撮られたり、あるいは瀬田の明智荘の中のお寺で写真を撮られたり、いろいろされておられます。2022年5月には東濃エリア版での実行委員会に亀谷議員、そしてもう一方名前を連ねられて実行委員として広報されております。
そして、2021年、昨年の7月時点でもこのサイクリングピースロードというイベントが取り組まれ、土田御前の前で写真を撮られたり、あるいは瀬田の明智荘の中のお寺で写真を撮られたり、いろいろされておられます。2022年5月には東濃エリア版での実行委員会に亀谷議員、そしてもう一方名前を連ねられて実行委員として広報されております。
本市ゆかりの森蘭丸や土田御前、歴史人物が多いまちとして打ち出していくに当たって、明智光秀がNHK大河ドラマの主役になるということは、長年明智光秀を盛り上げる活動を行ってきた市民の皆様にとっても喜ばしいことであります。今後は、本市ゆかりの森蘭丸などの歴史上の人物、山城、美濃桃山陶などにも注目が集まり、観光客がふえていくことを期待しております。
さらに、光秀のことだけではなく、明智氏の家臣であった土田氏の娘「土田御前」が信長の父信秀に嫁いでいたことや、信長の小姓の森蘭丸も可児市の出身であったことを改めて知る人も多いと思います。 それ以外にも、可児市周辺を含めて近郊から、戦国時代に活躍した武将を多く輩出しているということを知ってもらうことで、その人々との人物相関や歴史、地理に興味を持つ人がふえてくることは間違いありません。
それから生駒家の姫君が、土田御前ですね、そういった歴史の中の史実の人物がこの可児の地に存在したということを、今後、このNHK大河ドラマも含めて、この可児の観光交流の一つに取り上げていってほしいと、こんなふうに考えております。
戦国時代の人物を例として、明智光秀、森蘭丸、やりの使い手、可児才蔵、信長の母、土田御前など、歴史上の著名な武将たちが本市にゆかりがあることは、もっと積極的にPRしていく価値があると思います。 平成7年、旧兼山町と津山市が森家ゆかりの土地として交流を始めて20年を迎えました。それを記念し、記念誌が発行されました。可児市のことが子供たちでも読み取れるよう、わかりやすく書いてあります。
「広報かに」やケーブルテレビで、市長が本市ゆかりの戦国武将、森欄丸、明智光秀、土田御前、そして美濃桃山と卯花墻のことを語ってみえました。かなり知識が豊富であると思いました。歴史好きの女性、歴女ブームに乗って本市に迎えたいと思います。 歴史物といえば、専ら女性が好むジャンルに変わったと思います。
また、可児市の西の玄関口でもあります鳩吹山周辺を見てみますと、地元の方々の御協力により、カタクリの群生地で知られるようになりました可児川下流域自然公園、織田信長の母、土田御前ゆかりの土田城跡、木曽川左岸遊歩道など、観光資源として潜在能力を持った施設があります。この施設を点ではなく交流域と捉え、多角的にアピールしていくべきと考えます。
さといも塾の里芋焼酎土田御前や、里芋うどん等のヒット作を盛り込んだ可児そだちということで、「広報かに」の一番後ろの「市長の部屋から」というところのお写真をちょっと持ってまいりましたけれども、このさといも塾の取り組みは、化学合成農薬、化学肥料をできるだけ使用しないということでやっておりますので、土地のほうは隔年で、いろいろ点在する畑をローテーションして対応してみえるということで、頑張ってみえます。
地産ブランドの夢に向かって動き出したところであり、本市も地産地消のためにもなるとサポートし、産学官連携、農商工連携、水田の利活用により新商品開発している里芋じょうちゅう「土田御前」、こちらの方は体にもよくおいしいので、里芋のニーズ、また耕作面積拡大の需要がふえると予想できます。
今後、両地域をハード的に整備をするというものではなく、例えば明智光秀、土田御前とか、市内の他の歴史的観光資源との連携、また観光ボランティアガイドの一層の充実など、ソフト面を主体に整備をしていきたいと考えております。 5点目の木曽義仲でございます。 昨年、久々利で全国の木曽義仲ゆかりの地が集まりまして、義仲サミットが開催されました。
さらに、本市には観光資源として、明智光秀、森蘭丸、織田信長の母君であられる土田御前など、戦国時代の歴史に彩られ、いろいろな思いをはせることのできる歴史的財産に恵まれたところであります。こうした歴史的財産を、これからの新規事業等と何かお考えがございましたら、お答えを願います。
そこの中に出てくるのは、やっぱり森蘭丸と光秀、もう一つは土田御前の話。これは鳩吹山のふもとにある、例のあの突出した山が土田御前のふるさとでございます。これは信長のお母さんでありますけれども、実は可児市も、以前は可児広報の中にこれだけ立派なものが可児広報で出ました。信長の母、土田御前は土田で生まれたというね。これは大河ドラマで岐阜が舞台の折にやられたと思うんですね。
現在、古城山の発掘調査も進み、将来的には有望な観光資源として期待をされておるところでございますが、市内近隣を見回しましても、瀬田には明智氏ゆかりの光秀の歴史があり、土田には土田御前ゆかりの地があります。よく足元見ますと、この可児の地は多くの歴史的財産に恵まれております。
志野焼の発祥地でもある可児、明智光秀の生誕地とも言われておりますし、また織田信長の母の土田御前の地でもあると言われております。古代から日本で産出する最も古い馬の化石は約 2,000万年前の平牧地層から出てきているということで、また有名です。高さ 111センチ、重さ26キロの銅鐸も県の重要文化財で、これも展示されております。可児郷土歴史館はこういったものが展示されているわけでございます。